若いころの失敗談。
みんな1つや2つあるものだろう。
これは、私の№1黒歴史。
このブログは
「私の生活から切り分けられた空間」
だから今は置いておけるような気がしてる。
もしその線引きがあいまいになってきたら消すかもしれない。
この話は今まで誰にも話したことが無い。
・・・いや一人いた。触りだけ話した人が↓
この話が、例えば週刊誌の一つのコラムに載ったとしても
【事例1】
Aさんの場合
で、おそらく数行で済まされる内容。
でもあの時の感情は、15年経った今もはっきり思い出されるほどに強い。
見て見ぬふりをして過ごしてきた。
けど、消化不良を起こしている気がする。
できるだけ整理して、吐きだして先に進みたい。
学生時代のちょっとした好奇心
私は歌を歌う事が好きだった。
かと言って自己表現の世界に身を置く覚悟など無い。
ただただ好きな音楽を聴いて、友達とカラオケで歌いまくっているだけだった。
いつかは普通に就職して、結婚して子供もほしい。
もうすぐ「学生」が終わる。
おそらく人生で一番自由なこの時間は、間もなく終わる。
そう思うと、何事にも挑戦してみたかった。
「挑戦」へのハードルが、大分下がっていたのかもしれない。
きっかけはmixi
私の大学の友人に、意識の高い子がいた。
仮にA子とする。
勉強もまじめにこなしていたし、スポーツもバイトも。
それだけでなく、ボイトレに通って、機会あるたびに人前で歌を披露していた。
そんなA子の話がきっかけ。
mixiで知り合ったライブハウス経営している人がレーベルに顔が効くらしいの。
それで、今度会ってみないか?って誘われたんだー
この時点で香ばしい匂いしかしない。
だけど、当時はまだギリギリ10代。
私たちは若かった。
「へ~そうなんだー」
私の反応はもっと薄かったかもしれない。
少しの嫉妬と友人を応援する気持ち。
それと、ほんのひとかけら興味もあったと思う。
でも、A子の努力を思えば私の出る幕など無いと思った。
ただ、教えられたアカウントには訪問した。
アイコン写真は無い。
自己紹介欄には友人の説明通りの自己紹介が並ぶ。
新たに得る情報は無く、パソコンを閉じようとしたとき。
メッセージが届いた。
「歌とか興味あるの?」
当時のmixiには「足跡機能」があった。
ページに訪問しただけでログが残る。
相手はそれだけでメッセージを送ってきたのだ。
歌とか興味あるの?
当たり障りのない返信をすると、またもやすぐに返事がきた。
良かったら遊びに来てみない?
”このノリ?
A子はこれを「誘われた」って言ってるの?”
疑い、戸惑う気持ちはあった。
まして、これがチャンスではない事も分かってた。
ただ、ほんの少し興味があっただけ。
でも、時間やエネルギーを持て余していた私は会いに行くことにした。
もしヤバかったら逃げればいいじゃん。
ライブハウスもレーベルも事実。
だけど・・・
指定された場所に行くと、確かにそこにライブハウスはあった。
階段を下りて地下のライブハウスに入る。
男性が2人いた。
「社長」と名乗るラフな服装の男性、スーツを着た真面目そうな男性。
二人とも当時、還暦ぐらいだったと思う。
社長の正体
口頭で自己紹介?を聞いてもなんだかよくわからない。
その社長とやらは、過去に一度、ある歌手(大ヒットを飛ばしたらしい)のデビューに尽力したのだと、身振り手振り大胆に、尺をたっぷり使って説明していた。
それ自体は事実らしかったのだが。
彼は一発屋だった。
その過去の一回の成功に酔って、現実を見ていない。
10代の私にもすぐに分かった。
そして、話せば話すほど、この人の事が嫌いになった。
これから嫌というほどクソ言動を繰り返すので「クソ社長」と呼ぶことにする。
もはや空気。
もう一人の男性は?
もう一人の真面目そうな男性は、クソ社長の友人。
ライブハウスのスタッフでもなんでもない、ただの友人。
名前は杉山(仮名)。
クソ社長の言動がアレなので、比較的まともに映った。
何かあればこの人が頼りだと思っていた。
まぁ、実際には役立たたずな上、こいつに苦しめられることになるんだけど。
社長の手口
芸能界とは?
芸能人とは?
歌手とは?
…
色んな事を話してたけど、最終的に行きついた話に心底がっかりした。
体のチェックが必要なんだよね~
傷とか痣とか
結構衝撃的な発言だったと思うけど
”本当にあるんだな、こういう話”
と案外のんきに話を聞いていた。
しかし、改めてクソ社長の目を見たときに
「これはまずい」
と思った。
クソ社長の目が違う。
獣っぽいというか、ギラギラと舐めまわすような目。
隣の部屋を指して、暗にそこに行って服を脱ぐよう促してくる。
のらりくらり会話を逸らし、攻勢が弱まるのを待つ。
でも、攻撃の手が緩まない。
むしろ本当に手が出てきてあちこち触られるのをかわすので精一杯。
となりの杉山は空気だった。
2択
手を変え品を変え、色んな角度から決断を迫るクソ。
「君の覚悟をみたいんだ」
とかなんとか。
はっきり断れば良いだけの話
今なら録音して警察に叩き出す。
あの時の私は「子供」として「大人」の善意に甘えすがろうとしてた。
諦めてくれるのを待っていた。
…とうとう痺れを切らしたクソが、最後だと言って2択を迫ってきた。
「俺とこいつ、どっちにする?」
まともな方を選んだだけ
どっちにするか?
と聞かれたら、選ぶ方は決まってた。
恐怖と不快感で一杯のなか「杉山さん」と即答。
明らかにイラつきだすクソ社長
目がテン状態の杉山。
こっちとしては、逃げられればそれでいい。
私の願いが通じたのか、外に出るような話の流れになっていた。
外で、杉山が車を用意しているそうだ。
出発前に何やら細かい話を詰めている2人。
内容は分からない。
お察しの通りではあるが、その車には乗ってはいけなかった。
車の向う先は・・・?
10代の甘ちゃんだった私。
てっきり駅に送ってくれているものだと思っていた。
けれど、来たときと全く違うルートをたどっていく。
駅前の喧騒が消え、高速道路の乗り場に近い場所まで車で来ていた。
建物の敷地に入る。
ここがどこで、何なのかはすぐに理解できた。
そして、これからどうすべきか短い時間で考えた。
逃げられるかもしれない。
生憎、歩きにくいサンダルで来てしまっていた。
当然走れない。
ここがどこかわからない。
見渡す限りお店や民家もまばら。
最寄駅に行く方法も思いつかない。
説得してみる?
顔を見たけど、気持ちはよく汲み取れなかった。
悪い人じゃない気もするけれど、会って数時間。
逆らうのが怖い。
私は決断した。
一回だけ、我慢しよう。
思った以上のダメージ、それでも…
細かく描写するつもりはない。
でも、とにかく不快だった。
私より年上の子供がいる男性の相手をするとは思ってなかった。
すぐにお風呂に入ったけど、色んな汚いものを刻み付けられた気がして落ち着かない。
一応だけど、決断したうえでの結果。
全て受け止めるつもりで臨んだけど、ダメージは大きい。
同意が無かったとしたら、どんなに傷つくんだろうか?
シャワーを浴び続けながら、知らない誰かの気持ちを空想する自分も居た。
不思議な感覚。
自分の中から、経験した自分を切り離そうとしているみたい。
客観的に自分を見つめる自分が確かにいる。
そのあとの事をあまり覚えていない。
ジンジンと痛む度に現実と知る。
本能に従って帰った。
この1回があるかどうか。
クソ社長は本当に私を試していたらしい。
あそこまでしておいて何を言うんだとも思ったけど。
私はクソ社長の用意したレールに一応乗ってしまったようだった。
「その後」は一応用意されていた
その後定期的に連絡もあり「芸能活動もどき(?)」はスタートを切っていた。
あんなに嫌な思いをして、どうしてその後も関わろうと思ったのか。
思考が停止していたのかもしれない。
不思議と
「これまでの自分にはもう戻れなくて、前に進むしかない」
みたいな感覚もあった。
そもそものきっかけも、置かれている状況も。
誰にも相談できずに流れに身を任せていた。
作曲家(?)の紹介
杉山経由で
「作曲家を紹介する」
という業務連絡があって、本当に売れない作曲家の紹介をされた。
作曲家を借りにT男とする。
T男は人の良さそうな男だった。
カラオケボックスに集まって話をする。
歌って声を聴いてもらったり、デモの何かを聴かせてもらったり。
始まった時から感じていたけど、この会合に目的は無い。
具体的な進んだこともなく、何より楽しくなかった。
おそらく「口実」
取ってつけたようなハリボテ感が満載だった。
私が、呼び出された理由に気付いたのは会合が終わってから。
さらなる苦痛の時間だった。
恋人気取りでデートコースをドライブ
打ち合わせもそこそこに、T 男とは別れた。
その後、杉山は私を車に乗せて走り出す。
着いたのは横浜だった。
みなとみらい、赤レンガ倉庫、中華街を抜けて元町。
あからさまなデートコース。
この男は勘違いをしている。
私を自分の女とでも思っているんだろうか。
降りて歩くときに手を繋ごうとしてきたのには、本気で引いた。
嫌がったらすぐに辞めたし、表情が曇っている事にも気付いたはず。
ご機嫌取りをしていたようにさえ思う。
「恋人扱い」は様々な場面でにじんでいた。
その事がより一層気色悪いと思ったのも事実だが。
この時にようやく、恋人ごっこは「無理」だと伝える。
切々と私の気持ちを説明して、ようやく夢から覚めてもらえた。
目が覚めてやっと気付いたのだろうか。
自分が私に強烈な弱みを握られているという事を。
クソ社長からの圧力
あの時クソを選ばなかった。
そのことで私は「気に食わない奴」認定を受けたらしい。
嫌がらせのような圧力満点のメールを毎日何通も受け取った。
「A子とお前、どちらかにするとしたら、どうすればいいかわかる?」
またあんな思いをする?
それならこれ以上は望まない。
けれど、既に払った通行料をドブに捨てるのも嫌だった。
そんな時、A子から呼び出しを受けた。
A子からの呼び出し、叱責。
とても無機質な呼び出しメールが入った。
待ち合わせ場所でA子の車に乗る。
しかし、どこかに向かうこと無く、その場で話が始まった。
何で呼び出したかわかる?
正直に「わからない」と答えるとA子は言った。
社長に会ったでしょ?
何で私に何も言わないの?
つまりは、紹介したA子に話を通さないで社長に会うのは筋が違うという言い分だった。
社長はA子にも私の存在を匂わせ、何かの駆け引きをしているんだろうか。
気になるのは、「アレ」を、A子も経験したのかどうか。
A子はかなり強気な性格。
そして潔癖と言っていいくらい綺麗な恋愛経歴だった。
つけ入る隙も、取り付く島もなかったはず。
A子の口から捲し立てられた正論やキレイごとが、目の前に積み上げられていく。
辛うじて耳に届くけど、感情の手前でシャットアウトしようとしている。
仮にアレを経験したなら、こんなに正義を盾に私を責められるだろうか?
そう思い至った辺りから、申し訳ない気持ち、傷つけた悲しみを越えて、薄らと怒りが込み上げてきた。
確かに常識的に考えて、私は間違った。
でも、A子の知らないところで、罰は十分に受けたとも思っていた。
「筋を通す、通さない」
ごめん、だけど。
私にとっては至極どうでもよい事。
怒りをぶつけてくる事に、心が付いていかない。
いっそ、全部話してしまおうか。
…それは辞めた。
自ら傷をえぐって惨めな思いをしたくなかった。
それに、A子の性格上今後対等な和解は存在しないから。
薄っぺらい
「ごめんね」
を何度か吐いてその場をやり過ごす。
A子とはそれ以来、一旦疎遠になった。
とうとう関係を切る事に
そんな時でさえ、毎日やってくるクソ社長のメールは厄介だった。
内容は大体が
- 関係を迫る事を匂わす
- 誰かと天秤にかけ、なじるもの
内容は似たり寄ったりで慣れてもきた。
でも、念のためと目を通す度に、じわじわダメージを食らう。
私からクソへの返信は、とっくにしていない。
たまにくる杉山の確認メールに簡単に返すくらい。
(クソをシカトしてるから)
それでも毎日、毎日、毎日…。
よっぽど暇なんだろうな。
かろうじて喰らいつこうとしていた気持ちも、A子の事でプツンと切れた。
「アレ」のダメージも結構あった。
時々、一気に気持ちが落ち込んで耐え難い空しさと後悔に襲われて、死にたくもなった。
杉山たちと次の約束をメールで打ち合わせていた時
「心底行きたくない」
と思い、唐突に
「もう辞める」
と伝えた。
ある程度、引き留めとお断りの会話の応酬はあった。
驚いている様子はない。
その頃、杉山は私の言いなり。
大きくもめることも無くフェイドアウトできた。
無事ターゲットリストから外されたのか、クソからのメールは無くなった。
一月ほどで、私は二人の連絡先を全て拒否設定にした。
フェイドアウト後に起きたこと
連絡が無くなって、私のメンタルは少しずつ回復していった。
A子との関係を失った。
けれど、周りの友達はこっそり私との交流も続けてくれたので、実生活には影響無し。
すぐに元の生活に戻ることができた。
数か月後、T男から連絡が来るまでは穏やかな日々だった。
T男からの連絡
何かあった時の保険として、T男からの連絡は入るようにしていた。
あまり気乗りしなかったけれど、T男からの電話に出た。
少し深刻そうな話し声。
嫌な予感がしつつも、一応事情を聞く事にした。
「B子って知ってる?」
B子は、A子の通うボイトレ教室の友達だ。
私は面識がない。
けれどA子から話だけは聞いていた。
社長が
”B子と連絡が取れない”
って怒ってるんだよ
私の知ったことではないが、どうやらB子さんも社長に会ったようだ。
かいつまんで説明すると、B子さんは私よりも先の段階。
自主制作でCD出すところまで行っているらしい。※詳しくないから教えて詳しい人
ところが、社長からの連絡に応じなくなり、制作費用の事で金銭問題になっている?
とのこと。
B子に聞いたら、精神的に参ってるって言われちゃってさ~
B子はおそらく、アレを経験したんだろう。
同じ経験をして、同じメールを受け取っていたなら。
気持ちはよくわかる。
T男はどこまで分かっているのか?
肝心な部分をオブラートに包んで、B子さんの状況について憶測で話した。
それを聞いて驚いていたか?
…なんだ、こいつ知ってんじゃねーか。
私にできることは何だろう?
私は電話を切って少し考えた。
今さらあいつらに関わりたくない。
でも何か、できる事があるならしたい。
リスクの無い範囲で。
私はとあるアイディアをT男に伝えた。
賛成かと言えば、そうではないらしい。
けれど、止めもしなかった。
大人になった今言える事。
T男は良い人というより「なんでも良い人」
私は杉山に対するメールの受信拒否を解除した。
杉山にメールを出す
数カ月ぶりに、私は杉山にメールを出すことにした。
題名
「慰謝料請求について」
法律事務所のサイト、ネット上の性被害体験談などを読んで、慰謝料の記述を調べる。
それらしい金額を織り込んだ文をしたためていった。
実際は警察沙汰の事例ばかりで、参考になる情報はあまりなかったんだけれど。
- あれ以来、精神不安定で通院中
- カウンセラーに相談、弁護士や警察への相談を勧められた
- 弁護士から○○円程度慰謝料請求が可能と言われた
勿論、そんな事実は無い。
慰謝料請求も実行しない。
※精神的に不安定だったのは事実
1日2日推敲して、杉山に送信した。
杉山からの反応
杉山からメールの返信は無かった。
代わりに、着信の履歴が埋まっていく。
拒否設定のなので、履歴のみ積みあがっていくのを眺めていた。
ちらちらとクソ社長の番号も混ざり始める。
知らない番号の着信もあったけど、恐らく二人のどちらか。
なので取らなかった。
電話の数も減った。
1~2日メールの返信を待ったけど、返事は無い。
再び、メールを拒否設定に戻す。
私がしたのはこれだけだった。
T男にその時の内情を聞いてみた
鬼のような件数の着信以外に、どんな状況だったのかがわからない。
なので、T男にどんな状況だったのかを聞いてみることにした。
私からのメールを受け取った後しばらく、蜂の巣をつついたように大騒ぎだったそうだ。
クソはマジギレ。
杉山はあたふた。
クソは私に対して「著作権侵害」で訴えるとまで言っていたそうな。
杉山に最後に会った時、別れ間際に音源を受け取っていた。
「○vexに楽曲提供している人の作った音源」
だとかなんとか。
おそらくその音源の話だろう。
大切な物なら私になんて渡さないだろうとその時から思っていた。
だからT男のそんな話を聞いても、ちっとも怖くなかった。
カマをかけて脅すようなことをしてみて、クソ社長たちの気持ちが少しわかった気がした。
口先で言っているだけ。
何もしてくることはない。
なぜこのタイミングで私がこんな事をしてきたのかまで理解できれば…とも思うが。
私のメールの効果は一時的なものだ。
クソは同じことを繰り返すだろうし、B子への攻撃はおそらく止まない。
でも、心のどこかに引っかかっていればいい。
いつか訴えられるかもしれない
いつか警察沙汰になるかもしれない
そう思いながらタヒんでいけ。
B子の助けになったかどうかは分からない。
元の生活に戻れたことを願うだけだ。
Aとのその後の関係
A子との関係は緩やかに回復していった。
A子はそういう人なのだ。
一気に信じられないくらい距離を詰める。
そして強い理想に付いてこられない人間を「一旦蹴落とす」のが常。
その対象は入学当時から何人も移り変わった。
そして私の番が訪れたというわけだ。
だから言い訳したり、関係を再構築しようと焦ったりしなかった。
友達もそのスタンスを理解してくれて、うまく回った。
しかし、私は卒業後A子の存在を自ら断ち切った。
就職先の近くで、久しぶりに会って食事をした時だ。
神経をすり減らしながら初めての社会人生活を送っていた。
その中で更に、最大限A子に気を配って「友達」を続けることに何のメリットも感じなかった。
「あんなことがあったけど、私は友達でいてあげる」
そんなセリフが聞こえてきそうな、そんな会合。
笑顔を張り付けて参加している自分にうんざりした。
あの時強烈に感じただけで、二人の関係性はずっとこうだったはずだ。
学生時代はA子に合わせる余裕があっただけ。
その余裕はもうなかった。
別れて帰宅してすぐ。
メールと電話の着信を拒否した。
SNSもブロックした。
楽しかった思い出もたくさんある。
入学後すぐに仲良くなって、入学式も一緒だった。
頼りになるA子にたくさん支えてもらったことも事実。
だからこそ、それを台無しにしたくなかった。
勝手だとは思うけど、これで良かった。
もう、会うことは無いと思う。
この一件で私が思ったことは
ここまで書きたいことを書き殴ってたけれど、誰かに慰めてほしいわけではない。
この一連の事は、余計な感情をそぎ落としながら、事実だけを受け止めて生きてきた。
だけどなぜだか「書いておこう」と唐突に思った。
今まで誰にも知られたくなくて、ずっと隠して生きてきたこと。
気持ちまるごと文字に起そうと思った、その理由はよくわからない。
悲しい・苦しい気持ちももう一度しっかり味わったし、結局何が言いたいかも分からないまま。
あの経験を引き寄せたもの
「どうして、あんな経験をしてしまうことになったか」
を考えた。
好奇心の強さ
危機感の無さ
エネルギーにあふれ、興味関心が自由に枝分かれして伸びていたあの頃。
今だったら迷わず切り捨てる、その中の1つさえ、選択肢としてカウントしていたこと。
間違いなく大きな要因の一つ。
でも、若いってそういう事だとも思う。
「若かったから」
それでは、あの時の私だけでなく、今の私も救われない。
自分を大切にしなかった
あのあと、度々思い出していたのが高校生の時、友人に言われた
もっと自分を大切にしなきゃダメだよ
という言葉だった。
どんな場面で叱られたのかも思い出せない。
けれど、心底そう叱ってくれたような気がして、強烈に印象に残っている。
「自分を大切にする」が一体何なんだ?
思い出して心が揺さぶられたのだから。
「大切にしていなかった」
という事なんだろう。
寂しかった
寂しかったから。
自分を大切にする方法を大いに間違っていたんだと思う。
逆かな。
自分で自分を満たしてあげていたら。
その方法を知っていたら。
寂しく感じることも無かったのかもしれない。
大人の男性を見る目が変わった
あの時まで、いい大人が
「自分の子供と変わらない年齢の異性」
に手を出すわけがないと思っていた。
「そういうこと」から引退しているのでは?
とさえ思ってもいた。
そうじゃないという事を身をもって知り、年の離れた男性に対する見る目がガラッと変化した。
あまり良い意味ではなく…だ。
あの程度で済んでよかったんだよ
当時は乗り越える事で精いっぱい。
自分を不幸な人間だと思っていた。
でも今は
「あの程度の事で済んでラッキーだった」
と思ってもいる。
もっと相手が悪質だったら、2人がかりで襲われていたり、殺されていてもおかしくない状況だ。
そうじゃなかったとしても…
病気になっていたら?
妊娠していたら?
暴行されて怪我をしたら?
今、見えて居る景色はあの時とは違う。
タイムマシーンがあったら、あの場所に行って私のほほをひっぱたくのに。
教訓として、活かせるか
子供が「自分を大切にする」ために、この痛い経験をどう活かそうか。
辛い思いをしないよう、予めレールを敷いて走らせることには反対だ。
適度に転んだ方がいいし、小さな怪我の積み重ねは、大怪我を防ぐことに繋がる。
でも、この件に関してはリスクが高すぎるし、負う傷も深い。
「大人だから」と言って、簡単に信用するなと伝えるべき?
それは抵抗がある。
本音では、できるだけ人を信じて生きてほしいから。
…信じて疑わなかった結果がアレなので、限度はあるが。
きっと私にできる大切なことは
相談してもらえる、打ち明けてもらえる関係を続ける事
なんだと思う。
それしかない。
判断の、最後の砦になれるように。
深く傷ついたとき、一緒に寄り添う事ができるように。
結局それしかできない。
美味しい話は歩いてこない
着地点が良くわからないので最後にぶち込んでみた。
でも、この見出しで書くことは特にない。
これを最後まで読んでくれた人は、私をどう思うのだろうか?
考え出すとグルグル同じ所を回ってしまう。
でもそれがブログ。
えいやっの気持ちで公開してみよう。
いつか、何か起こって消すかもしれないけれど。
それまではここにひっそりとおいておこうと思う。
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