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言葉の絆創膏

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先日、久しぶりに荒ぶってしまった。

旦那

「久しぶり」の意味わかってんのかな

平静を取り繕えてない荒ぶるRT

冷静な目で何度も見返せば「極端な批判」ではなく「一定程度配慮された問題提起」だったと思うんだけれど…

どうしてか、私の心をざわざわと刺激するそんなツイートでした。

このツイート、そのリプライ。
私のRTに寄せてくれたたくさんの言葉から感じたこと。
荒ぶった言い訳をたーくさん交えてここに残そうと思う。

「産後の可哀そうだった私を慰めてよろしく!」
な部分も「大いに」出てくるかもしれない…

へぇ~。

…って生ぬるい目で読んでいただければ。

RTした理由

子供が犠牲になる悲しい事件。
残念だけど、ゼロにはならない。

ゼロにするため、たくさんの人が努力してくれている。
でも、防ぎきれない。

例えば、親からの虐待。
その親は「虐待するため」子供を産んだのか。

多分違う。
たとえ未熟な覚悟だったとしても。
一度は大切に育てたいと思って、子供を迎えたと思う。
※例外はあるかもしれないけどいったん横に置きます

私は、産前に決める覚悟なんてほとんど意味を成さないと思ってる。

見積は大抵甘すぎる。
あらゆる要素の組み合わせで起こる「想定外」の連続なんて、経験しないとわからない。

「母は強し」
母になっても、自動的に強くなんてならない。
日々、困難な状況に晒されて、打ちのめされ…
気が付いたら強くなっているだけ。

「育てられないなら産むな!」

その主張もわかるけど。
生まれてしまったら、どうにかするしかないわけで。

誰でもいいから、その子を幸せにするしかない。

パパ、ママがいるなら、できれば頑張って育ててほしい。
どちらでもいいし、どっちもでもいい。
祖父母でもいい。
兄弟でも。

生まれたからには、幸せになってほしい。
そう願わずにはいられない。

例えば。
あらゆる理由で、育てることが難しい、ギリギリの家庭があったとして。

  • お金の問題
  • 精神的なキャパの問題
  • 体調面で優れない状態

その時
「子供のために全力を尽くせ!」
とお尻をたたくことは正しいのか。

荷物を一つ持ってあげる事はできないのだろうか。
背中をさすることはできないのだろうか。

今まさに「虐待」に踏み込む寸前の、必死に踏みとどまっている親がいたとして。

どうすることが子供の安全・幸せに繋がるか。

私はいつも考えている。

モラルや人の目を正しく認識して行動できる状態にない、追い込まれた人の目に。
ほんのちょっとの攻撃的な言動がどう映るのか。
最後のひと押しになってしまわないか。

私は怖い。
自分がそうだったから。

だから、冷静なふりをして呟いた。

お願いだから、追い込まれている人をこれ以上責めないでほしい。
その陰で犠牲になるのは子供だから

子供が幸せになるため、一番大事なことは

「育てる人が幸せでいる事」

それに尽きると私は思ってる。

過剰反応かもしれない。
応急処置でしかない。
「臭いものに蓋をする行為」かもしれない。

それでも、その応急処置で踏みとどまることができれば。
応急処置を定期的に続けて時間を稼げば。
その間に子供は育ってくれる。

命を失わずに。
大きな怪我を負わずに。
大事なモノを失わずに成長できるかもしれない。

そのすべてが正しいわけじゃないけれど。
最悪の事態を迎えることなく、ただやり過ごす例があってもいいと思う。

妊娠・出産期のおはなし

ここからは
「私頑張ったよね?!私可哀そうよね!?」
な思い出話がてんこ盛りです。

イラっとするかもしれませんがお許しを…

なにとぞなにとぞ。

ーーーーーキリトリーーーーー

私は、不妊治療を経て双子を授かりました。
この点だけで言ったら幸せ以外の何物でもない。
色々乗り越えた今、幸せ以外の何物でもない。
(何度でもいう)

でも、正直色々大変だった。

妊娠中はずっと不安との闘い。
2つの命を、お腹の中でずっと守るプレッシャー。

動いていても、二人共無事なのかわからない。
次の検診を指折り数える。
目で見て確認したいから、早く産みたくて仕方なかった。

母体に起きる変化は、単胎と比べて2カ月ほど早いイメージ。
5カ月で一気に7カ月くらいのお腹になり、8カ月過ぎたらずっと臨月。
あとは日々限界を超えていく。

妊娠後期はずっと眠れない。
仰向けだと肺が圧迫されて窒息する。
気を失うようにうとうと眠って、ひや汗で目を覚ます。
食事は量を摂れないので、コンパクトで高栄養のカロリーメイトがお友達だった。
なお産後はそれを取り返すh…お察しください

やっとの思いで計画分娩日を迎える。
経腟分娩を希望して朝から促進剤を打って苦しむも、夕方には医師団の圧で帝王切開切り替え。
…前日18時以降絶食、当日朝6時以降絶飲という「帝王切開前提出産」だったと後に気付く。

私はこのことを「自然分娩体験」と呼んでいる。
最初から帝王切開勧めてくれたらよかったのに…と少ーしだけ思っている

産後は帝王切開の傷も癒えぬまま、ほぼ不眠で子の世話をした。
今思えば
「もっと寝ておけ!術後ぞ!?」
よね…

その時は
「入院中に育児テクマスターしてやんぞ!」
状態でして。

…本当アホだと思うよ。

おむつ
→授乳(直母チャレンジ→追ミルク)
→寝かしつけ

を二人やると、あっという間に次の授乳時間になるという地獄の入院期。
産後ハイで乗り切った。

退院後すぐに絶望。
そんな私を救った言葉たち。

退院後、実家に4カ月ほどお世話になった。
本当は半年ほどいたかったけど。
…それについては後述する。

私の両親は当時フルタイムの共働き。
→産後見積り甘かった点①

産後二週間ほどは、母が午前勤務で帰宅してくれた。
それでも午前中はボッチで二人を育児。
すごく孤独で恐怖だった。

同時にミルクで授乳するスキルを身に着けるのに一カ月くらいかかったと思う。
母乳は3カ月かかった。

ギャン泣きする片割れを撫でながら、震える手で一人を授乳してげっぷを出させて。
ギャン泣きで通報されないか…とか心配は尽きない。

授乳終了後は放心。
…まもなく次の授乳が始まる。

双子が同時に眠る時間は長くて30分。
吐き戻しの多い息子が心配で、眠っていても私は眠ることができなかった。

体重が退院基準ギリギリだったため、産後一週間でお産した病院に行くことになっていた。
やつれてボロボロの私を見て、同伴した夫の母に助産師さんが訴えているのを聞いた。

「お願いだから、ママをもう少し寝かせてあげてください」

その言葉に、まず救われた。
「寝ていいんだ」って。

多分、細切れ睡眠を足しても一日3時間も寝てなかったと思う。

その後、全員が実家に集結する夜7~8時頃から私が強制的に仮眠に入るという「シフト」制が導入された。

目を閉じて一瞬で3時間経過。
今を乗り切るためだけの最低限の休息。
ここは戦場か何かだろうかと何度も思った。

その後の時間は私の夜勤タイム。
ipadで延々「クリミナルマインド」を観ながら授乳するというダークな育児に没頭してやり過ごした。

旦那は、仕事。
夕方、私の実家に寄って沐浴と授乳を一度行って10時ごろ自宅に帰る。
平日の泊りは多くても一回。
土日はもちろんフル対応してもらったけれど。

育休を取ってもらわらなくちゃダメだった。

制度はあったし、やろうと思えばできる環境だった。
…元総務の見立てだから間違いない。
→産後見積り甘かった点②

両親はすごく頑張ってくれた。

母は私を含め家大人4人(+赤子2人)の家事を一手に引き受け、夜1~2時ごろまで赤子対応。
朝5時起きで家事をこなしてから仕事。

父は朝4時ごろに赤子対応に加わってくれてその後仕事。
帰宅してから沐浴・授乳等。
就寝は私の仮眠後だから11時~12時ごろ。

ほぼ無関心な弟も、見かねて赤子対応してくれた。
普段ご老人の介護してるから、おむつ交換なんてお手の物。

60を過ぎた両親がここまでしてくれているのに…
と当然夫に不満が募る。

一度、宿泊予定で滞在中に関わらず、夜中に夫が帰宅した。
「ごめん…このままだと仕事できないからやっぱり帰る」

あの時の見捨てられたような絶望は一生忘れられないと思う。

退院後一週間くらい経過後かな。
大学時代の友人から電話が入った。

「育児どう?辛いくない…?」
「今が一番辛いかな~って思って電話した」

気持ちが逆立っていたけど、自然とおさまっていく。

「今が一番つらいと思う。来週は少しだけ楽になって…。
その次の週はもう少し楽になるよ。だんだん楽になるからね」

私は泣いてた。
いつまで続くのか…って絶望してたから。
少しだけ希望の端っこを持たせてくれたから。

「赤ちゃん泣いててもいいから。生きてるって事だから大丈夫。
生きてればいいから。

私はこの言葉達を、産後苦しむ人に事あるごとに伝えてる。

今傷ついている人に渡す絆創膏替わり。
今を乗り切るための最低限の処方箋だ。

実際のところは楽になったかどうかわからない。
慣れて楽になるプラスの部分と、蓄積し続ける疲労、新たな悩みの発生というマイナスで計算は複雑になるばかり。

でも、希望を見据えると前には進めた。
あの言葉達に、何度も何度も救われた。

何度か、土日や夫の長期休暇を利用して義実家にもお世話になった。
実家の両親を休ませなくてはいけないと思ったし、夫に不眠不休で何日も世話をする機会が必要だったと思う。

実際、同室の連泊経験後、考えも大分変わっていったと実感してる。

ちなみに義母は5人の母。
赤子二人一気に任せて仮眠できるほど安心できる育児スキル…
感謝しかない。

加えて同い年の義理妹も私の戦友の一人。
同じ年頃の子を育てているから、あの頃から私のかけがえのない友人の一人だ。

4カ月経過後自宅へ戻る
新たな戦い

両親が限界だと思った。
だから、無理を承知で自宅へ戻った。

結果として、無理のない範囲で助けに来てもらえる事に繋がり良かった。
あのまま一緒に暮らしていたら…?と思うと怖い。
睡眠不足で両親が事故を起こしたかもしれない。

寝不足の不安定なメンタルの大人が3人では何が起こったか想像したくない。

そこからは、極力マイペースに育児した。
でも、夜はそれまでより辛かった。
夫は別室で一晩寝ていた。毎日。
そのため夜間は私一人。

その選択が間違っていたとは思っていない。
共倒れを回避するにはそうするしかないから。

でも共倒れ回避ではあっても「私が倒れることの回避にはなっていない」ことが大きな問題だった。

何度か交渉した。
「休み前日、週に一回でいいから、夜一人で寝かせてほしい」

正直それでも足りない。
でもその一回が有るか無いかで気持ちが大きく違う気がしたから。

でも聞き入れてもらえなかった。

土日の朝、3時間くらい交代して仮眠をとることはあっても、夜は私一人。

母乳に頼って寝かしつけてたからしょうがない…?
ううん。
今思うとそれも違う。

おんぶに抱っこでフラフラになって過ごす絶望の夜を、夫に体験させるべきだった。

「苦しめるべき」
ということじゃない。

「共有すべき苦しみは間違いなくあった」
という意味で。

1回だけ、一晩任せたことあったな。
私が発狂して別室に籠ったから仕方なく…だ。
怒り狂っていたから、私も当然眠れない。
意味を成さない交代だった。

一年3カ月、私は子供から離れて眠ることは無かった。

昼間も長くて3時間ほどかな。
限界に達して夫に無理やり押し付けて。
罪悪感を抱えて現実から逃げる時間しかなかった。

そういう日々の中で時折、ボーダーラインに立たされる事があった。

子供に危害が及ぶ恐れがある、そんなボーダーラインだ。

壁の穴

生後半年くらいかな。
時期はあまり覚えていない。

頭で考えなくても、勝手に手が動いてミルクは出来上がる。
ぼーっとしながら、授乳する。

なぜだろう。
今日は飲み切っても、寝ない。
一人は寝たのに、もう一人が寝ない。

やっと寝たと思って気を失ってすぐ…
どちらかが起きる。

昨日は寝れたのに…
今日はダメか。

もう3時?
5時には次の授乳。

ねぇ、いつ寝るの?

明日は寝れるかな…?

今日何曜日?
土曜日まであと何日ある…?

ギャーギャー

金切声で思考が中断する。

いい加減にしてほしい。

視界に入ったモノを手が勝手に掴みにかかる。

鼻づまりで寝付けない子供のために枕元にはいつも鼻吸いが置いてある。
それを手に取り振り上げた。

最後の最後。
一瞬の判断で放り投げる方向を襖に変えることができた。

襖に5センチほどの穴が開く。

心臓がドクドクと脈を打つ。
息が上がる。
冷静になって、背筋が寒くなる。
同時に、心の底からホッとした。

泣き声は意識の遠くにあった。
それが徐々に耳に届いてくる。
寝返りから戻れなくて、苦しくて泣く娘。

一分ぐらい放置して、抱き上げる。

「ごめんね…ごめんね…」

一緒に泣いた。
ぬいぐるみみたいに、すがるように抱きしめて。

娘の記憶には残らない。

でも私の記憶からは消えない。

超えるところだった。
超えちゃいけないところを超える寸前だった。

一度超えたらきっと何度も超える。
そんな予感がした。
エスカレートしたら、私もテレビの向こう側の人間になっていたかもしれない。

あの頃は、そんなことが何度もあった。

スマホを、旦那が30秒前までいた壁に向かって投げたこともある。
ボードにまで穴が開いた。

スマホの画面はバキバキに割れて、それでも機種変更する気になれなかった。
またすぐ壊す気がしたから。

あの頃twitterしてなくてよかった。

率直な意見が飛び交う場面で、悪意なく断罪する言葉と、それに賛同する言葉に出会っていたら。

ボーダーラインで踏みとどまれた自信は無い。
孤独で長い夜に、正しい選択ができた気がしない。

リアルなコミュニケーションに救われたとき

私が苦しんでいたのはコロナ前。

だから日常で私を救い上げてくれた、見ず知らずの人がたくさんいた。

スーパーでの買い物は一仕事。
ネットスーパーや生協系も試したけど、頭が回らなくて正しく買い物できないからやめた。
それに、大変だけど外には出たかった。

買い物中は一人をカート、一人を抱っこ。

おんぶは、落してしまう気がして出先では怖くてできなかった。
おんぶ抱っこは肩が死ぬので15分が限界。

どっちをカートに乗せるか、見極める。
どっちが泣かないでいられる…?

スピード勝負で買い物するものの、大体中盤でぐずりだす。

ギャン泣きしても、カートの方を抱っこするとか、交換するとかは無理。
抱っこしてる方を下ろす場所がお店には無いから。

ギャン泣きを無視して鬼の形相で買い物しているときだ。

強面のおじさんと目が合う。

”何か言われる…?”

おじさんはにっこり笑って

「どーしたんだぁ?ママ困っちゃうだろうよ~」

と息子を撫でた。
※私は触られることがイヤじゃないタイプです

奥さんと思しきおばさんが近づく。

「双子ちゃん?大変だね~。かわいい!」

「無理しないでね。周りにちゃんと頼りなよー。」

私、どんな顔してたんだろう?
涙こらえながら、笑顔で言葉を交わしてスーパーを後にした。

そのとき思った。

大丈夫だ。
見守ってくれる人が、ちゃんといる。

声をかけるって勇気がいるよね。
こういう場面で、そのハードルを越えて声をかけてくれる人を私は尊敬している。

多少モラルにかけていても…
そこは世代間の意識の違いもあるし。
お互い様。

ほとんど、肯定的な声掛けばかりだった。
嫌な思いをしたことはない。

今よりもっと過酷な育児をしてきただろう、たくさんの先輩方が、みんな

「頑張ってるね」

とほめてくれた。
世間は思った以上に温かいと思わせてくれた素敵な人達。

私もいつか、お節介とか、鬱陶しいと思われるリスクを背負って、声をかけられるおばさんになりたいと思ってる。

その中の一人でも、ボーダーラインぎりぎりの誰かを救えたらそれで御の字だ。

ネットで出会ったサトウさん

子供が一歳を超えると保育園の一時保育も活用できるようになり、私の負担はぐんと減った。

多分そのころだったと思うんだけど、アメブロを育児のノウハウを集める目的で見漁っていて。
「健康の天才」と名乗る「サトウさん」のブログに出会った。

双子を含む4人のパパ。
ママを全肯定してくれる姿勢。
この人に救われたママ、何人いるだろう?

苦しい人は、全部見て。
絶対力もらえるよ。

サトウさんの言葉で、溜まりに溜まった黒い気持ちを洗い流して、心の傷に絆創膏を貼っていく。

湧き上がる感情を丸ごと肯定するようになって初めて。
余計な感情と絡まりあって見えなかった問題が明確になり、解決するきっかけにもつながるように。

自分を肯定し、胸を張って「私は頑張っている」と言えるようになった。
「辛い」を堂々と口に出して夫に訴えるようになれた。

そして、その頃から、少しずつ子供が寝てくれるようにもなっていった。

そう。

私は時々もらえる言葉の絆創膏を貼りながら…
時間を稼いでしのぐことができた。

たくさんの人の言葉に、時間を稼いでもらえた。
子供が成長して、私が自分を取り戻すその時まで。

私が、その場しのぎで子育てをすることができた、その一人。

今も時々フラッシュバックするけど

寝不足がトラウマ…
そんな人が世の中に何人いるかわからない。

寝不足になり、あの頃の体調に近づくと。
未来が漠然と不安になる。

今もそういう時に限ってでっかい喧嘩を繰り広げている。

でもあの時とは違う。
私は、あきらめずに訴えるようにしている。

「辛かった」
「代わってほしかった」
「今じゃない。あの時助けてほしかったんだ」

表面から眺めたら、意味がない主張だと思うかもしれない。
夫には「あの時言ってよ」といつも言われる。

言えなかったんだから忘れろと?
それができなかったからこうやって訴えているんだ。
私には、あの時の私を、自分で助けに行く瞬間が必要だから。

だから、一度粉々にぶっ壊すつもりで、新たに積み上げるつもりで。
私は今も時々年甲斐もなく喚き散らしている。

終わりが見えなかった暗闇が、少しずつだけど晴れている実感がある。
夫には悪いが、あともう少し付き合ってもらおうと思っている。

言葉の絆創膏を配るおばさんになりたい

冒頭で私が紹介したツイートには多くの「肯定」「否定」の意見が集まっている。
私の小さなコミュニティの中でさえ、たくさんの意見が飛び交った。

きっと、情景がありありと浮かび、批判が少しちくちくと刺さる絶妙な文章に、多くの人の苦しい記憶・普段感じている不満がリンクしたんだろう。

  • 誰か知らない母親を必死で守る意見
  • それより舌打ちはダメだろう…とか
  • ツイ主を攻撃する、破壊力抜群の言葉達
    (酷すぎて書けない)

もちろん、逆も多かった。

  • 休みたい気持ちは認めるが、その時ではない
  • ギャン泣きを放っておくのは当たり前じゃない
  • 周りの人にも事情があるのだから、お互い様

不思議と、全部しっくりと来た。
※個人攻撃を除く一般的な意見は、です。

ダークサイド真っ只中のころだったらおそらく。

誰かとバトルしてやんよ!

っていう姿勢で挑み、ボロボロになっていた。

余裕が持てて俯瞰して見られるようになり、様々な意見に感心して、良い経験になったとすら思う。

でも、その上で、だ。
私はその母親の擁護側に回るつもりでいる。

守りたいのはその個人だけではない。
それを読んで自分を重ね合わせている親
そして、その親の事が大好きな子供。

自分も含まれている。
あの時、超えちゃいけない線をギリギリ超えずにやり過ごしてきた、みっともない自分と、そんな私を大好きでいてくれる子供のために。

いろいろな意見があっていい。
全部がきっと、それぞれの立場でほとんど正しい。

それぞれに守りたい人がいる。
私のスタンスは、その母親側だというだけのこと。

今、この時も苦しくて絶望して泣いている親がいる。
その腕に抱かれ、命を預ける子供がいる。

「とりあえず今を乗り越える」
それだけの効果しかないかもしれない。

明日には、明日を乗り越える言葉が必要かもしれない。

それでも、言葉の絆創膏は必要だ。
臆せず、お節介になれる。
万に一つを救いとれるおばさんに、私はなりたい。

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