あー…
またやってら~
仲の良いお友達の皆様の中には、そう思っている人もいる…
っていうか多いと思う。
- 喧嘩になる前に対策をすれば?
- もっと冷静に話し合えばいいのに
- 建設的じゃない
大の大人が思春期の子供みたいにやりあっている、その理由を考察していこうと思う。
大人の話し合いの前提は「余裕」
私がわざわざこれを記事化しようと思ったのはこの記事を読んだから。
誤解があるといけないので明確に否定したいのは、わが家の場合「夫がモラハラ」ではないということ。
正確に言うなら夫婦関係そのものが「モラハラ関係に陥りやすい関係性」だったということです。
私は夫を基本的に尊敬している。
だから、余裕のある時であれば意見はほぼ100%尊重できた。
…もちろんそうじゃないときもたま~にはあったけれど。
子供ができて、それが難しい場面が増えた。
尊重が「我慢」に変わり、忍耐が限界に達すれば、キレる結果になる。
私の器が大きければ「これまで通り」の上に、今や未来を積み重ねられた。
でも、私の器は、子供ができたことで自在に膨らむ風船ではない。
無理やり押し広げて妊娠線ができ放題のお腹のようだ。
見るたび、誇らしさと切なさが同居する。
今までできていたことが急に全くできなくなる。
お互いに困惑したと思う。
尊重できるものならしたいが、そんなこと言っていられない私。
妻の手のひら返しについていけない夫。
最初はただ、惨状を訴えた。
でも、リソースの奪い合いになるだけ。
お互い準備が足らなかった。
建設的な話し合いも、冷静に相手に気持ちを伝えることも。
不可能だった。
それは結局冷静に考えて策を練る余裕があるときにのみできることであって。
生き死にに関わる局面ではそんなこと、言ってられないんだ。
余裕をなくす前に話し合うことができればいい。
でも、急激にピンチに陥った時に。
沈みかけた船の上で、墜落しかけた飛行機の中で。
冷静な話し合いなどしてはいられない。
選択的ヒステリック
ヒステリックな振舞いは嫌われる。
信用を損なう。
いい大人なのでそのくらいは理解している。
でも、ヒステリックな振舞いには、一定程度効果があると思っている。
「モラハラに陥りやすい関係性」というのは、ある程度上下関係・主従関係が既に出来上がっている関係とも言い換えられる。
その関係性をぶっ壊すためには「冷静に気持ちを伝える」なんて生易しいことしている場合じゃない。
簡単に丸め込める、それがデフォルトの人と、思考を停止して諦めることに慣れてしまった人の関係なのだから。
怒鳴る元気すらないとき、自分の正しさを信じられないとき。
泣く子供を放心状態で見つめたり、あふれてくる涙と鼻水そのまま枕に顔をうずめたり(汚い)
そんな日々を覆すためのヒステリー。
無加工の感情の投げ合い。
しかも剛速球。
お互い傷だらけ。
フィジカルが回復してきて、自分らしさを取り戻しつつある今だからこそできるコミュニケーションだとも思ってる。
二年前の私にはできなかった。
全部壊す覚悟の上で、捨て身で立ち向かう喧嘩。
破壊の上にしか、新しいものは積みあがらない
今までも、中途半端な喧嘩はしてきた。
枝先を剪定して「それっぽく」仕上げることで、気持ちを落ち着かせる程度のものならば。
その積み重ねで理想の形に仕上げるつもりだったんだと思う。
でもそれではダメだった。
会話の端々に無理解の綻びがちらついて「そうじゃない」が蓄積していく。
その一つ一つを直していく作業で疲れ果てて、相手の人間性まで疑うようになる始末。
知り尽くしているはずの相手のことが、少しずつ理解できなくなる。
挙動に怯えて、無駄に神経をすり減らしていく。
あーダメだ。
ここで、一度根本付近まで、大事なところまで踏み込んで話をつけなきゃいけない。
さながら、終盤のジェンガ。
もう、抜ける場所も積み上げる場所も限られている。
ここで崩れたら?
もう新しいゲームを始めることは無いかもしれない。
それでも、一度全部崩れること前提で、不安定を支える一本を、私は抜きにかかった。
壊して気付いたことの多くは自分が積み重ねた無理解
今まで、日々の生活を成り立たせるために些細なことをとにかくスルーした。
その過程で私の中にも「誤った相手像」が出来上がっていたらしい。
ここ最近、私にとっての夫は宇宙人だった。
- 「普通なら」そんなことしない
- こんなことを言うんだから「普通なわけがない」
だけど当然、相手の言動にも必ず「理由」「きっかけ」「経緯」が存在している。
一度バラバラに壊し尽くしたことで、そのアルゴリズムの一端を掴むことができたように思う。
知り尽くした行動パターンと矛盾しない、原理原則。
「尊敬」を残したまま、納得の上で「尊重」を継続できる余地。
それは当然、私の「原理原則」も相手の懐に叩き込むことができたから言えることだ。
今までの私は、消化しやすくミンチにして、まーるくこねて。
要点のつかめない複雑な味になった言葉を、映える盛り付けで出す。
でもそれじゃ都合よく美味しく平らげられるだけだった。
生の言葉をそのまま出した方が、よっぽど気持ちが伝わった。
不味くていい。
汚くていい。
覚悟が決まれば、嫌われる心配を遠くに追いやることができるようだ。
結果として、根っこの膿を掻き出す穴を空けることができたと思う。
一応、ニューゲームは始まったと思う
またジェンガを積んでる。
一人ではなく、二人で積んでる。
長く、高く積み上げられるよう、お互い相談して積んでる。
「首の皮一枚」だった関係も、もう少し厚めの皮になった。
喧嘩は辛かった。
スポーツのようなさわやかさとは無縁の泥仕合。
でもやってよかったと思う。
必要なことだったと思う。
「またやりたい」なんて心底思わないけれど。
コメント