「ねぇ、なんかいいことないかな?」
高校のころ、毎日友達から聞かされてうんざりした言葉。
だけど、つい、つぶやきたい衝動に駆られる。
そのくらいあまり最近良いことがない。
月殺界なんだよね~
9月まで運が悪いらしいです。
…本題に入ろう。
私は基本的にノー天気だと思う。
直観で心地よく感じる言葉は、そのままありがたく受け取るようにしている。
そのスタンスのことで、時々お叱りをうけることがある。
「人を信じすぎだよ」
「いつか足元掬われるよ」
実際、危ない目にあったことも、傷ついた事もあったわけだけど。
それでも最初のスタンスを変えることは無いと思う。
「何か裏があるんじゃないか?」
「本当はそんなこと思っていないんじゃないか?」
みんなは、そういう「フィルター」を通してから言葉を受け取るんだろうか。
下心のある言葉は透けて見える
積極的に疑いのフィルターにはかけない。
でも過去の経験から、違和感を持つという事はある。
さすがに。
機械が発したかのような、感情を感じない言葉とか
ギラギラと強い欲を感じる言葉とか
それはわかっちゃうよ。
さすがに。
もちろん、そういう言葉との遭遇で一瞬がっかりしたりはする。
それでも、その言葉一つだけで相手の全てを評価したくないっていう救済措置が働いて、少しえぐった質問で相手を揺さぶってみたり、人間味をぎゅっと抽出してみようとするの。
それで相手を怒らせたり、喧嘩することもあるし、嫌われることも。
でもそれがその人の感情なんだと思うと嬉しかったりもする。
優しい言葉はタダじゃない
何か下心があって、優しい言葉を並べる人もいるんだと思う。
「そういう甘い言葉に騙されてはだめだ」
でも「嬉しい!」と感じて心が揺さぶられる言葉には、ちゃんと私を思って選んだ言葉が詰まっているような気がしてしまう。
その人の持つ言葉のストックの中から、私が喜ぶ言葉とか共通の思い出を添えてくれるその気持ちがね。
私はその労力それ自体がタダじゃないと思っているから、それ相応のお返しがしたい。
それと、大切に記憶のどこかにしまっておきたいと思っている。
せめて、キーとして。
できるだけ、その言葉の裏側を覗いて、ラベルの原材料とか原産国とかは確認したくない。
信用のおける相手とだけ、そういう言葉のやりとりを重ねているつもりだから。
多少の下心があったとしても、それはそれで仕方がないと思ったりもする。
色んなことを思考する中の1つだと思うし、同時に私を喜ばせる言葉を選ぼうとしてくれてもいるわけだから。
優しい言葉はタダじゃない。
でもお返しの方法は別に決まっているわけでもない。
そのあたりの利害が一致する人とだけ、コミュニケーションが続けばいい。
この記事は本当は欲まみれ
なんでこんなこと書いたかって言うと、当てつけなの。
私の言葉だって、タダじゃなかったんだ。
お金が欲しかったわけじゃないよ。
欲しかったのはきっと、それ相応の気持ちなんだと思う。
別に、もう要らないんだけど。
ボランティアみたいな気持ちでつづった言葉だったけど、ちゃんと時間も労力もかけた。
気持ちを込めた。
アンパンマンが顔をちぎって空腹の人のお腹を満たそうとする感じに似てる。
ボランティアだって「感謝の気持ち」とか「達成感」くらいは受け取ったっていいじゃない?
予想できなかった結果に、その時はだいぶ疲れてしまった。
あ、もう今はだいぶ回復したのでこれを書いています。
私は元気です、多分。
もっと楽しいこと、有益なこと書きたいよ私だって。
でも頭の中に絡まった言葉をどうにか、文字にして吐き出したい、残しておきたい欲に駆られる。
ブロガーでよかった。
孤独な夜の時間にパソコンで誰のためにもならない日記を書いて公開する、しがない雑記ブロガーでよかった本当(白目)
こんなところまで読んでくれた方がいたとしたら、本当ありがとう。
嬉しい。
大好きです。
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