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圧倒的敗者の取扱いについて

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毎度おなじみ、我が家のバトルについて。
というよりそれで思ったことの振り返り、まとめをしていこうと思う。

まだ飲み下せていない気持ちもあって油断すると感情に飲み込まれそうになるけれどそれもまるまる閉じ込めます。

沈み込みスタートの金曜朝

平日は一時間かけて夫と子供の送迎をしている。
金曜日は旦那の機嫌が最も良い。
色んな話を振って、掴みは良かったはず。

満を持して出した話の、提案の結果はNOだった。

数週間前にジャブを打って手ごたえもあった。
その後特に悪影響のある要素も無かった。
勝算はあった。

ただ、それは私に見えていた景色とは違う環境にいる旦那とで大きなボタンのかけ違いがあって。
「あーこの差は埋まらないな」
と確信した。

子供を幼稚園に送って、放心状態で運転して、いつも行く海の公園のベンチに座った。
色んな人に話を聞いてもらって、私の中で結論を出した。
諦める方向に。

とは言え、割れたガラスの破片をとりあえず袋に詰めて無理やり箱に押し込んだような状態。
他の色々を受け止められたらその割れた感情の破片も片付けるつもり。
今は開けたくない箱だった。

傷をこじ開けられた今朝の話

一応母親なので、何があっても子供にご飯食べさせないといけないし、洗濯も掃除もしなくてはいけない。

ごめん嘘ついた。掃除はサボった。

夕食は思考を停止してスシローで済ませて、旦那の夕飯もテイクアウト。
そのくらい疲れてたのか、寝かしつけで力尽きてしまった。

そして今朝。
朝ご飯を用意するバタバタの最中、話しかけられた。

「熱は下がった?」

もちろん熱など無かった。

「ほだされて上がった熱が下がって、冷静になれたか?」

という意味だった。
カッと頭に血が上る感覚がした。すごくはっきり。

「諦めることに決めた。だからもうその話はしたくない」

はっきりと伝えた。
でも「説教モード」がオンになっている旦那は攻撃の手を緩めない。

おそらくこの時のための色んな理論武装を事前にしていたようで、色んな角度から、有益なエビデンスを降らせてくる。
但し、どれも昨日友達と話し尽くした事ばかりで正直うんざりした。

せっかくとじかけていた傷を開いて、塩を擦り込まれているみたいで、どうしても話をしたくなかった。

「納得してないでしょ?」

「無理だよ。今納得しなくちゃいけないの?諦めたことを飲み込むことに時間をかけてはいけないの?」

後でゆっくり整理しようとしたあの鋭い破片だらけの箱を、傷だらけの手指で触らないといけないのだろうか。

とにかく話したくない。

普段子供と寝ている和室に閉じこもった。

しばらくして、背を向けて横になる私の後ろから優しいトーンで話しかけられた。

「〇〇の為に言ってるんだよ」

違う。

そうじゃない事は明白だ。白々しい。

「俺が困るからやめてほしい」

と言った方が幾分ましだと思う。
話したくないと言って閉じこもっているのに、負けを認めている相手に追い打ちをかける神経が良くわからない。

理解をするのに手助けが要る年齢だと思っているのか。
バカにするにもほどがある。

…こう書くと「随分仕上がっているな」と自分でも思う。
その辺りの思考と「圧倒的敗者をどう取り扱うべきか」について考えをまとめたいと思う。

圧倒的敗者に正論を振りかざす危険

私は、今回自分が圧倒的な敗者だと思っている。

いろんな価値観があるなかでは完全に「間違っている」とは言い難いと思う。
でも、私の置かれている立場では無理のある主張だったのだと認めざるを得ない。

ただ「浮かされ、ほだされる」ほどに盛り上がってしまった気持ちを失くすことは簡単ではないし、湧き上がる感情をすぐにオフにできるかというと、それは難しい。

理屈は理解している。
感情が追い付かないだけ。

それを体現すると「反抗期の中学生」のようであったとは思う。
じゃあ、その反抗期の中学生のような。
いい歳の母親に対して「正論」で論破しようとするとどうなってしまうのか。

あまり良い結果にはならないと思う。

色んな選択肢が頭をよぎる。

家族旅行をブッチしてしまおうか。とか。
このままどこかに二、三日消えてしまおうか、とか。
ベランダに出て飛び降りたらどうなるか、とか。

頭をよぎるだけで実行に移すことはおそらくない。

でも余程追い込まれていたら?
冷静な自分がそこにいなかったらどうなってしまうんだろう。

感情に蓋をして、いつも通り振る舞える人もいるのかもしれない。
しかし私には無理だ。

圧倒的敗者には選択肢があまりない。
故に、大胆に別の手段をとる事もありうると私は思う。

今回の私のように、どこかに閉じこもったりで済めばいいけど。
暴れて何かにあたったり、誰かを傷つけたり、自分を傷つけたりすることもあると思う。

正論で袋小路に追い込む行為は、それを助長する。
適度な逃げ場を作っておかないと「その人らしさ」の中の落としどころにうまくはめこむことができなくなる。

それは誰も望まないはずだ。
「本来のその人らしさ」をもう一度ちゃんと見たいのであれば、納得させることを急ぐべきじゃない。
ガチガチに上下左右を正論や理屈で固めてしまうより「理解した(フリでもよいけど)上で本人に選ばせる」余地を作る事が大切だと私は思う。

「共感」で緩ませる方が得策

今回の「諦め」は、誰かの我儘によるものじゃない。
それは分かっている。

だからひとかけらでも「共感」があれば違かったのではないかと思う。

信じられない主張を通そうとする妻に「納得の上諦めさせたい」という気持ちは理解できなくもないが(納得させないと同じ事が繰り返されるという懸念もあるのだろう)、なおのこと口先だけでも「共感」は表現しておいた方が無難だろう。

泣いて話を聞いている私よりは幾分余裕のある立場だったんだから、そのくらいはして欲しかったと思う。

あと「バカにされている」と感じるような態度も良くない。

「お前、ばかなの?」
という言葉が顔に張り付いていた。

正直超ムカついた。

将来役立てるための記録として残しています

なんで私がこんな恥さらしみたいな記事を書いているかというと、この気持ちを残しておくことで、将来反抗してきた子供への対応に活用できそうだと思ったから。

自分で今回の自分の事を「中学生のころみたいだな」と心底思った。

あの頃は言語化できなかった気持ちが、今は表現できるというのは一応の成長なのかな。
やってることはさほど変わらないけれど。

それでも私は、二時間のふて寝のあとは子供と外を散歩して買い物に行き、お風呂に入って夕食を作った。
髪を切って帰ってきた旦那の髪型について意見を述べ、子供の言動の面白さを笑った。

箱の中に感情を閉じ込めて、そこにある現実をちゃんと生きている。

いつか感情も供養して整理できる日が来る。
それまでは、どうか放っておいて欲しい。
理屈も、情報もこれ以上は必要ない。
頭の中にある理解が、感情に及ぶまで。
感情の中の棘が、丸く収まって理屈に追いつくまで。

自分のペースで解決するのを、見届けて欲しいと心から思っている。

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