このブログの取り扱いをずーっと迷って迷って。
結局4年経過してしまった(汗)
見切り発車でスタートして、テーマをこね繰り回して作り直してみたり
無理だ…!
と気付いて愚痴吐き日記の廃棄所にしてみたり。
大人の無計画なおもちゃ箱(維持費月1,000円)をどう活用するべきか…と。
テーマを決めたブログ作成は別でしてるし(これも今止まってるけど)
ここは、書き続ける場所としておいておこうと思う。
4年前にこのブログを立ち上げた時から、私の課題は変わらない。
とにかく書くこと。
4年経っても、結局量をこなす以外の道が無い事実が深く刻み付けられるだけだった。
中今で生きる人は結果を出すよなーと
約2年前から、都市伝説やら、陰謀論やらのYouTubeチャンネルを徘徊するようになった。
きっかけはコロナの感染状況やワクチンに対する不信。
残念ながら3回も接種してしまった私はその時はまだ羊だったわけだ。
基本、どのジャンルを観ても
「へ~。 ほ~。 ふ~ん。 おもろ~。」
としか思っていなかったんだけど…。
常識メガネ越しに観てる限りありえないはずの話が、現実にオーバーラップしてくる毎日。
好奇心と危機感で毎日数チャンネルを巡った。
ちょうど2025年7月問題が浮上し始めて、コヤスタなどが注目されたころだったかな。
その頃、見ている色んなチャンネル同士がコラボし始めて、ジャンル全体の盛り上がりの波に一緒に乗れたような実感もあって余計に楽しかった。
お気に入りはナオキマンの対談。
陰謀論より、スピリチュアルが科学的に紐解かれそうな…
紐解かれないまでも、有識者の豊かな言葉で表現された「とっかかりやすいスピ」に夢中になった。
特に矢作直樹さんや、残念ながら亡くなってしまった木内鶴彦さんとの動画が大好き。
矢作直樹さんの言葉の中で、ずーっと残っているのが「中今で生きる」という言葉。
その大切さは言語化できないまま、私の中にずーっとあったもの。
「過去を振り返っては後悔して落ち込んだり、未来に不安になって必死になるあまり、焦ってから回ってばかり。
なんで今を楽しく生きられなくなってしまったんだろう…?」
…というひどく残念な状況を救う概念が
「なかいま」というたった四文字(文字化すると「中今」で二文字)に収まってしまって衝撃だった。
とにかく「今」を丁寧に丁寧に。
…ADHDの私にはムリゲーかしら。
成功しているYouTuberを人として、生き方をじっくり想像してみる。
(YouTuberって素の姿が垣間見えるからできること)
エピソードトークを聞くに、瞬間瞬間の描写が細やか・なめらかで、
「中今を生きている」からこそできることなのでは?
と思う事が多い。
YouTubeでの表現を意識しているから、後天的に「中今」になった可能性もあるけど
その変化が成功に結び付いたとも言える。
ブログ界隈でも同じことが言えて。
結局、「丁寧な今」の積み重ねをいかに愚直に続けていくか?
それができる人が生き残る人、成功している人なんだろうな…と。
成功していない私が、その事実にこっそり気付けた気がしている。
どう「中今を生きる」か?
さて。
私が「中今を生きる」ために何をするべきかを考える。
一つ一つを「丁寧に」するのは、気質的に難しい。
基本が「気もそぞろ」で、できもしないマルチタスクを楽しみ、結果何も成せない。
いつものこと。
成功者に倣うなら…
日常の「表現の場」を持つことは大切かもしれない、とふと思った。
その瞬間は雑に生きてしまうかもしれないけれど、
表現のタイミングで丁寧に思い出そうとするから。
「中今」的生き方の訓練、復習…?
…
……
………
…つまりは日記だよ笑
日記を書くだけ!
軽くテーマを決めてもいい。
眠くても、眠いさまを表現したら良い。
日々、何文字くらいを目標に書こうか…?
3000文字はきついかしら。
以前もこんなことを考えていた気もする。
結局は続きもしない…
noteに日記を書こうかと思った時もあったけど、
同じことが自分だけのプラットフォームでできるならその方が良い。
影響力なんか…
こんなんなんぼであっても良いですからね。
…と、少なくとも去年くらいまでは思っていたけど、今は「?」が浮かぶ。
今は、読む人は少ない方が良いし、反応は無くていい。
それでも、表に向かって意識して表現する事は大切だし、サボると表現力はガクッと下がる。
もはや筋トレ。
テキトーになっても良いから、毎日表現を重ねてみる。
その連続が、いつか自分の糧になればよいと、
仕切り直しの度に考えています。
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